うつしまるくん

 

自分の文章をパソコンにタイピングしていると、小学校低学年のとき、授業で「うつしまるくん」という教材をやらされていたことを思い出す。文章があってただ写すだけなのだけど、とても楽しくやっていたように思う。

しかし、こうしてタイピングをしていると筆写というのもすごく難しい高度な作業だなと気づく。特に書いてあることをある程度のフレーズに区切って記憶し、画面を見ながら打ち出す。鉛筆で写すのと違って、作業場面は、ノートと画面とキーボードという3点あって大変さが多い。

こんなことを低学年にやらせようと思ったら、狂気である。でも、今の学校はキーボードで打つのだろうか。

ブラインドタッチができたとしても、私はこれまでノートを見て打っていたのだが、ここのところ画面を見ていた方が誤字が少なくなるかなと、意識的にノートのフレーズを覚えて目を移すプロセスを作っている。

こうして考えてみると、ノートを見て打っていた方が、ノートに視線が戻ったときに打ち終えた場所をさがす手間が省けていいのかもしれない。それに、ブラインドタッチさえ習得すれば、それこそノートだけをずっと見ながら書くことができる。位置を気にする手間が省ける。そちらの方が簡単かもしれない。

ETV特集「未来会議~ばらばらな私たちが始めた、小さな対話~」を視聴した。大きなものが小さなものを分断していく様が見えたように思うし、隠されていたようにも思える。

学校の教室内の小さな分断から、機械的に引かれる避難指示区域まで、対話する共同性を奪われている気がする。そして容易に奪う側になるのだ。大事なことは17時に仕事を辞めるということではないか。公務員として仕事をするのは勤務時間だけ。あとは住民側につく。これもすごく大事なことなんだと思う。妥協策でしかないけど。

それでも、そういう精神性だけでも涵養しておかないと、相当まずいだろう。むしろ本当は、住民側に立つ公務員に対して給料を払ってもいいくらいなのだ。法定研修として有給にするような仕組みも必要だろう。